安心から選択するという実践
私たちは日々、たくさんの選択をしています。
何をするか
何を言うか
どこに向かうか
それらはすべて、「自分で決めている」と感じられるものです。
ただ、ふと立ち止まったときに、こんな感覚に触れることはないでしょうか。
・なぜか同じような選択を繰り返している
・違う選択をしたいのに、同じ方向に引き戻される
・理解しているのに、現実は変わらない
もしそうだとしたら、選択そのものではなく、
その手前にあるものに目を向ける必要があるのかもしれません。
選択の前にあるもの
一般的には、
選択 → 行動 → 結果
という順序で語られます。
しかし実際には、その前にもう一つ層があります。
状態 → 選択 → 行動 → 結果
この「状態」は、多くの場合あまり意識されません。
それは、安心しているか、緊張しているか。
何をしなくても自分自身に価値を感じられているか。
選択の質や方向性は、この状態に大きく影響を受けています。
不安という状態からの選択
たとえば、不安があるとき。
私たちはその”不安”に対して、何かしらの対処をしようとします。
捉え方を変えたり
感情を解放しようとしたり
過去を深く見つめたり
しかし、不安はそのように”思考”や”感情”で認識されるものだけでなく、
身体の緊張や収縮として現れます。
そしてその身体の反応のほうが、より深く、より本能的に働いています。
その状態の中で選択をしようとすると、
間違えないこと
失わないこと
安全であること
が自然と優先されます。
この状態がベースになっているときの選択は、少しずつ“守る方向”に寄っていくからです。
それは決して悪いことではなく、人が持つ大切な機能です。
ただ、身体の記憶は習慣的です。
繰り返し行われた反応は、たとえ警戒的であったとしても、やがてそれが「自分らしさ」として定着していきます。
その反応そのものを、自分のアイデンティティ=自分自身だと認識するためです。
なぜ同じパターンが繰り返されるのか
たとえば、「私は今不安を感じている」と言語で認識することができれば、それに対してどう対処しようか、その先の選択について考えることができます。
思考を整理し
理解を深め
選択を変えようとする
それでも、どこかで元に戻る感覚が残ることがあります。
この感覚を抱けたとき、はじめて、人は「選択の問題」ではなく、”選択が生まれている状態”そのものに、目を向けることができるようになります。
つまり、思考や感情だけでなく、神経系や身体の反応も含めたwhole(全体)としての在り方です。
思考を変えようとし、感情を整えようとしてもなぜか「今ここ」の安心に安住できないとき。
それは表層が変わっている一方で、自分成り立たせている構造そのものは保たれ続けている、ということかもしれません。
安心という状態
では、「安心から選ぶ」とはどういうことなのでしょうか。
ここでいう安心は、すべてをコントロールできる状態でも、正解が見えている状態でもありません。
むしろ、結果がまだわからないままでも、すべてが整っていなくても、体がひらかれている状態。
この状態では、
無理に正解を探そうとしない
未来を強くコントロールしようとしない
その代わりに、
選択が自然に立ち上がる感覚が生まれます。
選択の質が変わるとき
ここでひとつの視点を置いてみます。
目の前にあるその選択をしようとしているとき、あなたの身体はどのような状態にあるでしょうか。
それは、何かを守ろうとする動きか
それとも、すでに十分であるところからの動きか。
明確な答えを出す必要はありません。
ただその問いに触れたとき、多くの場合、選択の質にはすでに変化が生まれています。
実践とは何か
「安心から選択する」という実践は、何か特別な方法を身につけることでも、選択をコントロールすることでもなく、
選択がどこから生まれているのかに静かに気づいていくことです。
それによって、選択への勇気も、選択への責任も、少しずつ軽やかなものに変わっていきます。
そして結果として、選択のあり方そのものが変化していきます。
選択は重要です。
けれど、何を選ぶか以上に、どの状態から選んでいるかが、現実の質を形づくっています。
「安心から選ぶ」とは、何かを変えることではなく、”すでにある状態に気づくこと”から始まる実践です。
0コメント