統合が、ひとりでは進みにくい理由

これまでいろいろな角度から自己理解を深めてきた人が、「統合」という言葉に触れるとき、多くの場合、私たちはまず「自分で向き合おう」とします。 


内側を見つめたり、感情を感じたり、思考に気づいたりします。

実際に、それによって見えてくるものもたくさんあるので、とても自然な流れ。


私自身も、長いあいだそうやって向き合ってきました。 

起業で自己実現をしながら、コーチングで自己理解を深め、瞑想で自分と繋がり、探求を深めてきました。


それでも、ある頃から、ずっと同じ場所をぐるぐる回っているような感覚がありました。 

問題があるたびに、原因探求をし続ける。

感情が動くたびに、意味を見出そうとする。

その奥には、ほどけそうでほどけきらないなにかがある感覚が、ずっと拭えませんでした。


当時は、やり方の問題だと思っていました。 

まだ何かが足りないのかもしれない。 

新しいノウハウを探さなければ。

もっと深く見ればいいのかもしれない。 

どこかで、見落としているのかもしれない。 


そうやって、さらに内側に向かうことを繰り返すうち、私はやがて、自分の大切な人生の時間をこんな「問題解決」ばかりに割いていていいのか、とふと気づくようになりました。


私はいつから、こんなにも長い時間を「自分をなんとかすること」に使い続けているのだろう、と。


私はただ、安心したいだけなのに。

安心して今ここの幸せを感じられたら、十分に幸せなのに。


でも当時の私は、それでもなお「もっと向き合わなければ」と思っていました。

今振り返ると、 あれは「やり方」の問題なのではなく、 根本の部分の話だったのだと思います。


どれだけ丁寧に見つめていても、そこに「なんとかしようとする力」がある限り、それは「現状否定」のエネルギーになることに、私はだんだん気づいていきました。


見ている対象は変わっても、立っている位置が変わらないままだからです。 

気づこうとする。 

客観視しようとする。 

さらにその自分を見つめようとする。 

けれどそのときもなお、 “見ている側”そのものには、誰なのか。


本当に難しかったのは、 その”見ている位置”そのものに気づくことでした。 

思考では、自我が自我を見張る構造を見破ることは、できません。

そしてこの位置にいる限り、 ひとりで向き合おうとすればするほど、かえって力が入り続けることがあります。


私たちは、自分を客観視しているつもりでも、 実際には、ある前提の位置から世界を見ています。 


 問題を解決しなければならない。 

 変わらなければならない。 

 整わなければならない。 


その位置に立ったままでは、見ている対象が変わっても、「見ている構造」そのものは変わりません。 

そして、この“見ている位置”は、思考だけで外すことがとても難しい。 

なぜならそれは、単なる考え方ではなく、身体や神経系の緊張と深く結びついているからです。 


 だからこそ、ひとりで向き合っていると、どうしても同じ場所に戻りやすくなる。 

 そんな中であるとき、誰かと一緒にいることで、ふっと前提ごと力が抜ける瞬間がありました。

 変えようとされない。 

 分析されない。

 急かされない。 

 ただ、そのままで存在していていい。 


 すると、その時はじめて、身体が今ここに開く、という現象が起きました。


身体の神経系がそっと鎮まり、それと同時に、それまで問題に飲み込まれていた思考や感情、身体の反応が少しずつ静かになっていきました。

そしてその時はじめて、それらを”そのまま起きているもの”としてみている場所があることに、気づき始めたのです。

そこは、何が起きても、起きなくても、揺らぐことない私の中の静かな中心でした。


統合とは、何かをうまく扱えるようになることではなく、分離の位置から世界を見続けていた前提が、静かにほどけていくこと。 


そしてその変化は、ひとりで頑張ることよりも、セルフの質感を保った関係性の中で、自然に起きやすくなることがある。 


 だから統合は、「どう変えるか」ではなく、 “どの位置から世界を見ているか” その前提に触れていくプロセスなのかもしれません。

Core Field Coaching

すでに在る、揺るがない場所から生きる 非二元領域に触れながら、心身の安定と存在の土台を育てるコーチング

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