「何もできない自分」に出会ったときに起きていること
私たちはどこかでずっと、
「ちゃんとしなきゃ」
「役に立たなきゃ」
「何かを成し遂げなきゃ」
と自分を追い立てて生きることに慣れてきました。
何もしていないと不安になる。
止まることに、どこか怖さがある。
動いているあいだだけ、落ち着いていられる。
こんな感覚が当たり前になっていることが、私たちの年代では、とてもよくあります。
でも本当は、
何もしていなくても、
何も生み出していなくても、
誰かの役に立っていなくても、
人は誰もが、ここにいるだけでいい。
ここにいるだけですでに尊いことなのです。
ただそれが、身体レベルで腑に落ちていないとき、
私たちは動き続け、なにかを証明することで自分を保とうとします。
セッションを重ねていくなかで、こんな変化が起きることがあります。
前はできていたことが、急にできなくなる。
考えようとすると、頭がぼんやりする。
理由もなく、不安や感情があふれてくる。
一見すると、停滞や後退に感じるかもしれません。
このとき内側で起きていることを、少し構造的に見てみます。
私たちはこれまで、さまざまな感覚や感情を分離することで、日常を保ち、社会に適応してきました。
その方法が、
感じすぎないようにしたり、
考えることでカバーしたり、
動くことでやり過ごしたりすること。
それは「うまく生きる」ために、自然に働いてきた力です。
ただ、その分離がゆるみ始めると、これまで切り離されていたものが、切り離されないまま感じられるようになります。
それは、未消化の感情として現れることもあれば、思考のゆるみや、動けなさとして現れることもあります。
このとき、これまでの自分との違いに戸惑いを感じることが少なくありません。
一見すると、抑うつやフリーズのように見えるかもしれません。
けれどここでは、『行動によって回避してきた回路が鎮まっている状態』とも言えます。
動けなくなったのではなく、動かなくても成立する状態に、はじめて入っているのかもしれません。
今起きていることを、無理に元に戻そうとしなくて大丈夫です。
早く整えようとしなくていい。
理解しようとしすぎなくていい。
ただ、起きていることを、そのままにしておくこと。
それが結果として、 統合を静かに進めていきます。
もしあなたが今、 動けない感覚や、 揺らぎの中にいるなら。
それは直さなければいけないものではなく、分離がゆるみ、統合が始まっているサインかもしれません。
私は、そのプロセスの中で自然に起きる現象を、信頼しています。
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