セルフラブだけでは、身体の緊張はほどけなかった

私はバーンアウトで身体がストップをかけてきたあと、一生懸命「セルフラブ」に取り組んできた。 

自分を責めないこと。 

自分を大切に扱うこと。 

自分に優しい言葉をかけること。 

自分を大切にするという感覚すら受け入れることができないほど、自分嫌いだった頃から思えば、これは本当に大切なステップで、何かがたとえ止まったとしても、時間をかけたことで得たものはたくさんあった。

「私は私を愛している」と真正面から自分に声をかけられるようになったとき、極小だった人としての器を、ずいぶん広げることができるようになった気がした。

でも正直に言うと、 どれだけ「私は私を愛している」と言葉を重ねても、 そんな私自身に心底安心する感覚は、まだどこか遠かった。


自分を愛し続けるために、さらなる努力をしよう。

自分にがっかりしないように、いい人間であろうとし続けよう。

そんな力みが、全身静かに張り巡らしていたように思う。


振り返ると、私は長い間、「自分を愛そう」 としていたのだと思う。 

それは言い換えると、ずっと“愛せる自分”になろうとしていた、ともいえる。


言葉の認知では今のままではいけない、なんて思ってはいなくても、身体はまだ、そう思っていた、そのことが、自己一致が深まるにつれ、鮮やかに感じられるようになってきた。


どんなにセルフラブを努力しても、身体は、完全には安心していない。 

私の身体は、ずっと何かと戦い続けていたのかもしれない、とこの時初めて、気がついた。 


意識は先に開いていく。 

でも、身体はもっとゆっくりだった。 


「もう大丈夫だよ」と何度言葉をかけても、神経はまだ、世界を脅威として扱っている。 

頭では終わったはずの緊張が、身体の奥では、まだ静かに続いている。 


私はここで初めて、 “気づくこと”と “身体が本当に安心すること”は、別のプロセスなのだと知った。


とても繊細な身体の統合は、内側の再配置を、静かに、でも大きくもたらす。


内側の力みが減っていった時、  ふと慈愛のような感覚が満ちてくる瞬間が増えていった。 

それは、頑張って作る愛ではなく、もともとそこにあったものが滲み出してくるような感覚だった。


「自分を愛さなければ」 と力を入れていた頃には、 触れられなかった安心。 

 “愛そうとしなくてもただ在るだけで愛されている” という安心。


私たちは最初から祝福された存在だということを身体のほうが思い出したとき、力みが抜け、生命の活動が始まる。

セルフラブのその先には、頑張って自分を愛そうとしなくても、ただ在ることで満ちていく、静かな慈愛の場所があった。

Core Field Coaching

すでに在る、揺るがない場所から生きる 非二元領域に触れながら、心身の安定と存在の土台を育てるコーチング

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