セドナ。大地と繋がり自分を生きることを決めた場所
「今ここ」を生きる感覚が深まり、未来への渇望も、過去への執着も、自然と薄れていっていた昨年。
ある日突然、アメリカ・セドナの映像が、呼ばれたように頭に思い浮かぶようになりました。
以来、赤い大地の映像が、繰り返し脳裏に浮かぶように。
そしてその流れのまま、導かれるように足を運んだ旅が、私を大きく変えてくれました。
今日は私の誕生日。
なのでいつもとは少し雰囲気を変えて、その時の思い出をそっと振り返ってみたいと思います。
アリゾナの大地に降り立った瞬間から、もう感覚ははじまっていました。
大地に深く根を張るような、どこまでも静かな安心感。
それでいて、体はふわりと軽く、浮き立つような高揚感もある。
何度となく思い描いてきた光景が目の前に広がった時の感動は、今でも忘れることができません。
ほとばしる大地のエネルギーをに触れて、言葉にならない思いや感動が、ただ内側から溢れてきました。
セドナはパワースポットとして知られる場所です。
実際にその地に立ってみると、そうした言葉では足りないほど、360度パノラマで赤土が広がる光景は圧倒的でした。
ただそこにいるだけで、思考が消えていく。
体をゆだね、五感で地球を感じることしかできなくなる。
過去でも未来でもなく、ただ「今ここ」にいる。
意図しなくても自然にその感覚へと誘われていくことが、世界中の人がこの場所に惹かれる理由なのだと、深く実感しました。
セドナには、地球のエネルギーが凝縮されると言われる「ボルテックス」が存在すると言われています。
エアポートメサ
カセドラルロック
ボイントン・キャニオン
ベルロック
どの場所も、それぞれに雄弁な存在感を放ち、ただただ美しく、そこに在りました。
そこにいるだけで、深くグラウンディングしていく。
大地と繋がり、風が吹き抜ける。
そこで感じたのは、私たちは本来とても自由であるということ。
評価からも、意味づけからも、私たちは最初から自由だった。
ただ、私が「わたし」という物語を作り、その中でもがき、苦しんできただけだった、という静かな事実。
赤土の上で、これまでの歩みを、ふと、そんなふうに眺められるようになったとき。
自分と世界の境目が、あいまいにほどけていく感覚がありました。
そのどこまでも広がる「わたし」を、セドナの大地は大きく、静かに抱きとめてくれる。
その安心感は、これまでのどんな自分も包含していいのだという、深い許容にも似たものでした。
この旅では、セドナの拠点にアリゾナ縦断もしました。
一日の気温差は30度。
どこまでもまっすぐ伸びる国道を、レンタカーで走った3日間。
総走行距離は1200kmに及びました。
男性性のような壮大な力強さを秘めた、グランドキャニオン、
女性性のような優美な曲線で迎えてくれる、アンテロープキャニオン。
吸い込まれるような深さで大地を切り出す、ホースシューベント。
セドナだけではない、アリゾナの魅力もまた、言葉では言い尽くせません。
LAでは、高級住宅街のBeverly Hillsと、貧困やホームレスの問題が色濃く表れるSkidRow、その両方に足を運びました。
光と影、その両方を目にもしたことも、この旅の大きな一部です。
メジャーリーグの開放的なスタジアムで、ドジャーズ観戦もしました。
全盛期の大谷選手のホームランを、間近で2試合見られたのも、本当に貴重な経験でした。
暮らすような旅がしたくて、泊ったAirbnbは最高でした。
毎晩、Whole Foodsで買ったお肉を裏庭のBBQスタンドで焼いては食べる。
そんなシンプルな時間も、宝です。
夜22時、真っ暗な山道を縫うようにセドナに戻る道はちょっと怖かったけど、そんなことができるようになるなんて、昔の私じゃ考えられなかったこと。
そして何より、こうして自分の「やりたい」をひとつずつ叶えていけること。
それ自体が、自然と自分に勇気と信頼を与えてくれるのだと思います。
人は何歳からでも、自分の望む人生を生きていける。
起きるべきことが、ただ起きている。
この旅で私が受け取ったものは、数えきれません。
セドナは、私にとって 大地と繋がり、自分を生きることを、静かに決めた場所。
あの赤い大地で受け取った感覚は、これからもきっと、私の中に生き続けていくのだと思います。
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