行動しないのではなく、“反応から行動しない”ということ
「無理に動かなくていい」
「ただ在ればいい」
そういった言葉に触れたとき、 行動そのものが否定されているように感じられることがあるかもしれません。
成果主義で動くこの社会では、そういう言葉は「停滞」や「怠慢」に受け取られたり、
あるいは逆に、それを声高に語ることで、一気にスピリチュアルな文脈に回収されてしまうこともあります。
けれど、ここで扱いたいのは 「行動するか、しないか」という話ではありません。
本記事では、CoreFieldコーチングが大切にしているDoingの定義を紐解きながら、「行動しない」という言葉が背負いがちな、さまざまな誤解を整理していきます。
◆行動はなくならない
まず前提として、 私たちは生きている限り、 完全に行動をやめることはできません。
呼吸することも、 言葉を発することも、 何かを選ぶことも、
どれもすでに行動です。
だから、「行動しない」と言われたときに実際に起きているのは、 行動がなくなることではありません。
止まるか、動くかではなく、「行動そのものの質が変わる」、ということです。
何かに急かされて動くのか、
それとも静けさの中から自然に動くのか。
たとえ外から見れば同じ行動でも、その内側で起きていることは、大きく変わります。
◆反応からの行動
私たちが日常で行っている多くの行動は、 何かに対する「反応」と結びついています。
不安や焦りのように、はっきりとわかるものもあれば、 それと気づかれないほど微細なものもあります。
不安だから動く
評価が気になるから動く
遅れてはいけないと思って動く
嫌われたくないから動く
思ってもみないところで、そうした防衛的なシステムが稼働し、それが行動に結びついていることは、少なくありません。
あるいは、こうした心の動きには、すでに気づいている方も多いと思います。
実際に、それらと向き合い、 思考や感情のパターンを理解してきた方もいるでしょう。
それでもなお、行動の中に残るものがあります。
はっきりとした不安や恐れではなく、もっと微細な、
わずかな前のめり感
ほんの少しの緊張
どこかを整えようとする力
一見すると「自然で前向きな行動」に見えながら、その奥で、かすかに反応が動いている状態です。
このレベルになると、「不安だから動いている」といった明確な理由ではなくなります。
このとき内側で起きた反応に押されている状態が、気づかないほど自然な形で行動に入り込んでくるからです。
身体の中で起きているのは、
落ち着かなさ
焦り
詰まり
外に引っ張られるような感覚
が同時に起きています。
動いてはいるけれど、 どこか「動かされている」感覚がある。
特に、その行動が評価されればされるほど、この感覚は意識に上がりにくくなります。
◆行動を止めてはいけない、という緊張
反応からの行動に気づき始めたとき、もうひとつ別の力が見えてくることがあります。
それは、 「止まってはいけない」という、静かな緊張です。
「行動したい」という生命からの衝動ではなく、 止まることに対するどこか落ち着かない感覚。
たとえば、何もしていない時間に、説明のつかない落ち着かなさが生まれる。
その違和感を避けるように、次の行動が始まる。
このときの行動は、一見すると前向きで、 社会的にも評価されやすいものです。
動いている
努力している
止まっていない
それは“良いこと”として扱われるため、 この動きはほとんど疑われることがありません。
けれどその奥には、 止まることへの恐れが静かに含まれている場合があります。
その繰り返しの中で、行動は「したいから」ではなく、「止まらないために」続いていくことがあります。
◆行動の「質」が変わるとき
「反応から行動しない」というのは、 行動をやめることではありません。
反応に押されたまま動き続けている状態に、 気づく余地を持つ、ということです。
身体にわずかな緊張があること。
落ち着かなさがあること。
外へ向かう力が働いていること。
こうした動きは、探そうとするのではなく、むしろ 何もしていない時間の中でこそ、 ふと気づくことができます。
それらに気づいたとき、すぐに整えようとするのではなく、そのままにしておくことができるかどうか。
それらに、 何かをしようとせず、 そのまま触れることができたとき。
それまで行動を支えていた反応が、少しずつ自然にほどけていきます。
それは、 強く働きかけて変えるものではなく、 安心の中で、静かに変わっていくもの。
そのとき、 行動は 「何かのために起こすもの」から、 「そのまま立ち上がってくるもの」へと、 静かに変わっていきます。
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