トラウマインフォームドな関わりとは

今、対人支援の現場では、「トラウマインフォームドな関わり」という視点が、少しずつ重要なものとして扱われるようになってきています。 


コーチングやカウンセリング。 

教育、医療、福祉、あるいは日常の人間関係の中でも。 

「人は、状態によって反応が変わる」 という前提の上で関わることの大切さが、少しずつ共有され始めています。


トラウマインフォームドな関わりとは、 人を変えようとするより先に、 “いま、その人の身体の中で何が起きているか” を見る関わりです。


それは、トラウマを特別なものとして捉えず、

・私たちの生活に深く関わっていて

・その影響を私たち人間の身体や神経系は受けているかもしれない

・その構造を前提にして関わる

ということだと感じています。


人は、神経系の状態によって反応が変わります。 

不安や緊張が強いとき。 

容量を超えた負荷がかかったとき。 

身体は自動的に、防衛反応を起動させます。 


これは、意志や性格の問題ではなく、生き延びるためのごく自然な身体の反応です。

 

たとえば、防衛反応というと、 

 動けなくなる。 

 フリーズする。

 無気力になる。 

そんなイメージを持たれることも多いかもしれません。 

もちろん、それもあります。 


けれど実際には、もっと見えにくい形で現れることも少なくありません。 


むしろ社会の中では、 

止まれない。 

考え続ける。 

整え続ける。

成果を出し続ける。 

常に次へ進もうとする。 

そうした“過活動”として現れることも、とても多いのです。


以前の私は、まさにこの後者のタイプでした。 

わかりやすく崩れるわけではない。

むしろ、動けてしまう。 学べてしまう。 成果も出せてしまう。 

だからこそ、自分がずっと緊張の中を生きていたことに、私は長いあいだ気づけませんでした。


この状態は、たびたび、人生で方向修正を余儀なくされることがあります。

仕事を変えたり、人間関係を変えたり、そのたびにリセットが入り、新たな負荷を自分に課すことも少なくありません。


そこで何かがスタックする、そのたびに一時停止が入ることもありますが、それは身体が危険を感じているだけ。 

怠慢でも、意欲不足でもありませんが、コーチングの現場ではそれをまた、行動で克服しようとすることも少なくないのではないでしょうか。 


以前の私は、まさにこの感覚を持ち、「変わること」でよくなろうとしていました。


問題があれば改善する。 

不安があれば整える。 

もっと良くなるために動き続ける。 


この動きのそばにはいつもコーチングや自己成長があり、実際それらに助けられたこともたくさんあります。 人生が前に進んだ感覚も、確かにありました。 


けれど今振り返ると、あの頃の私は、 “変わりたい”というより、 “変わり続けなければ安心できなかった” のだと思います。 

止まると、自分が崩れてしまう気がしていたから。 


特に、愛着の不安や、安心感の土台が不安定なまま育ってきた場合。

「ただ存在しているだけで安心できる」 という感覚が、身体の中に育ちにくいことがあります。 


すると私たちは、 

 役に立つこと。 

 期待に応えること。 

 ちゃんと動くこと。 

 問題を起こさないこと。 

 

そうした“Doing”によって、安心や繋がりを保とうとし始めます。 

 それは生き延びるための、とても自然で、また切実な適応でもありました。 


 だから以前、私が「止まる」という選択肢を持てなかったとき。

私の身体では、常に警報が鳴り続けていたように思います。 

止まらず前に進み続けることだけが、そのまま安心を保つことだったからです。



こうした状態は、外からはとても見えにくいことがあります。 

むしろ、ちゃんと動けているように見えるし、成果も出している。 

だからこそ、本人も周囲も、その奥にある緊張に気づきにくい。


こんなとき大切になるのが、トラウマインフォームドな視点です。


ここでは、人を変えようとするより先に「いま、その人の身体の中で何が起きているのか」 を大切にします。

いま、その人の身体の中で何が起きているのか。 

焦り。 過活動。 凍りつき。 切断。 

あるいは、少し安心できている感覚。 


そして同時に、「いまの身体が、どこまでなら無理なく感じていられるか」も大切になります。

 

思考を整理したり、見方を変えることで楽になることも、もちろんあります。 

実際、私自身もそうしたアプローチに助けられてきました。 


ただ、身体の深いところで防衛反応が働いているとき。 思考だけで安心しようとしても、身体のほうはまだ危険を感じ続けていることがある。

このとき、思考の整理やリフレーミングだけでは、身体の深い防衛までは触れられず、 結果として、同じ構造を繰り返してしまうことがあります。


代わりに、正そうとしない、急いで前に進めようとしない、そんな“余白”のある場では、 防衛そのものが、少しずつ力を抜き始めることがあります。


起きている反応をすぐに変えようとせず、 焦りも、不安も、防衛も、 まずは「起きているもの」として、安全の中で感じられる余白を残していく。


そうやって何かを操作するのではなく、 「いま、防衛が起きている」 ということを、安全の中で見ていけるようになるとき。

少しずつ “防衛=私” だったものが、 “防衛もまた、起きているもの” として見え始めます。 

ここで初めて、人が自然に変わる「スペース」が生まれます。

 

 無理に変えられるのではなく、身体が安全を思い出すときに、内側の再編成が起き始める。 

 変化とは、本来そういうものなのかもしれません。


「背負わない」という言葉があります。 

 相手の人生を代わりに生きない。 相手の課題を引き受けすぎない。 

 これはコーチングにおいて大切な原則です。 


ただ、その言葉が、 状態を見ないまま、要求だけを置くための免罪符 になってしまうことがあります。

 「やるかどうかは本人次第」 「変わるかどうかは本人の問題」 

これらの言葉にコーチ側の視点の欠如が起きているかもしれないことに、触れる人はあまり多くはありません。 



私たち人間は、“思考と意志だけで変化する存在”ではありません。

本当は、思考、感情、意志だけでなく、神経系、身体含めたもっとおおきな「全体」です。


トラウマインフォームドであるかどうかは、 やさしさの問題ではなく、 “変化が起きる条件”をどう見ているかという、構造の問題でもあります。 


変化を起こそうとするほど、身体は緊張することがある。 

でも逆に、 身体が安全を思い出し始めると、 変化はこちらが操作しなくても自然に起き始める。 

そのとき、思考だけでは届かなかったような深い緊張が、身体が安全を思い出していく中で、静かにほどけていくことが本当にあるのです。


本当に深い変化は、「もっと頑張れるようになること」ではなく、 身体が安心したまま、生きられるようになっていくことなのだと思います。


Core Field Coaching

すでに在る、揺るがない場所から生きる 非二元領域に触れながら、心身の安定と存在の土台を育てるコーチング

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