コーチングで違和感を感じたことがある人へ
ちゃんと動けている。
成果も出ている。
周りから見れば、うまく進んでいるように見える。
それでもどこかで、同じ消耗や行き詰まりを繰り返している。
もしそんな感覚があるとしたら。
それは、意思や努力の問題ではなく、「どこからその行動が立ち上がっているか」
私を動かす”位置”の問題かもしれません。
これはかつての私でした。より良い自分になるために、問題があれば改善し、行動し続けることで、それを証明しようとしていた。
そうした動きのそばには、いつもコーチングがありました。
実際、コーチングはそのための選択や行動を助けてくれましたし、人生を前に進めてもくれました。
コーチングの多くは、行動を変えることで現実を変えることを目的とします。
目標を設定し、思考を整え、行動を設計する。
その流れはとても合理的ですし、実際に機能する場面もたくさんあります。
私自身も、そうしたアプローチに助けられてきました。
ただ、その行動が、身体にとって無理のない形で立ち上がっているのか。
それとも、緊張や防衛によって、なんとか支えられているのか。
そこには、大きな違いがあります。
防衛や緊張が土台になっているとき。
人は、 不安を打ち消すために動く。
評価を失わないように動く。
崩れないように、止まれずに動き続ける。
そんな形で、行動を続けるようになります。
外から見れば「できている」。
本人も、「ちゃんと動けている」と感じている。
けれど身体の奥では、安心できないまま、神経系だけが働き続けていることがあります。
特に、愛着の不安や、安心感の土台が不安定なまま育ってきた場合。
私たちは「安心」を、“在ること”ではなく、“Doing”によって作ろうとし始めます。
ちゃんと動くこと。
成果を出すこと。
役に立つこと。
前に進み続けること。
そうやって人生を前に進めることで、安心を得ようとする。
だから以前の私は、「止まる」という選択肢を持てませんでした。
前に進み続けることが、そのまま安心を保つことだったからです。
この状態のまま、
もっと動ける仕組みを作る。
より良い習慣を取り入れる。
自己受容やセルフラブを深めようとする。
そうしたアプローチを重ねると、一時的にはうまくいくこともあります。
実際、私自身もそうでした。
以前より動けるようになって、成果も出る。
周囲から見れば、順調に進んでいるように見える。
けれどどこかで、また同じ場所へ戻ってしまう。
安心したはずなのに、また焦り、整ったはずなのに、また揺れる。
そのたびに「まだ何かが足りない」と感じて、また次の答えを探しに行くループ。
今振り返ると、あの頃の私は、「変わりたい」というより、“変わり続けなければ安心できなかった”のだと思います。
止まると、自分が崩れてしまう気がしていたから。
ここで起きやすいことがあります。
自己理解を進めるなかで、本当は防衛反応として起きていたものが、「これが自分の性格なんだ」と感じられていくことがあります。
止まれないのは、責任感が強いから。
動き続けるのは、努力家だから。
人の顔色を読むのは、優しい性格だから。
もちろん、それらが間違っているわけではないし、そうした自己理解が次なるヒントをもたらしてくれるときも、もちろんあります。
でもその奥には、「そうしていなければ安全でいられなかった」という身体の反応があることも少なくありません。
そしてその状態のまま、
「もっと自己受容を」
「もっと自分を愛そう」
「もっと在り方を変えよう」 という言葉に触れるとき。
そこにまたDoing的な努力を持ち込んでしまうことで、身体や神経系との統合が図られずに、自分を高めるループに入ってしまうことも、決して少なくはないのです。
今私が大切だと感じるのは、「何を変えるべきか」ではなく、ありのまま、今ここに触れた時に「何が起きているのか」。
トラウマインフォームドな視点では、人を変えることより先に、
その人が今、どんな緊張の中にいるのか。
どれくらい安心できているのか。
どこまでなら、身体が無理なく感じていられるのか。
そうしたことを丁寧に見ていきます。
防衛を無理に壊そうとするのではなく、「それが必要だった」という前提ごと扱っていく。
すると少しずつ、“防衛=私ではなかった”という感覚が、静かに育ち始めます。
もし今、
動けているのに疲れる。
頑張っているのに安心できない。
変わっているはずなのに、また戻ってしまう。
そんな感覚があるとしたら。
それは、あなたに何かが足りないのではなく、 “どんな状態で生きてきたのか” が、まだ十分に見られていなかっただけかもしれません。
コーチングは本来、人を前に進めるためのもの。
だからこそ、「どこからその行動が立ち上がっているのか」
この視点に触れた時、命の輝きがグッと増し始めると私は思います。
本当に深い変化は、もっと頑張れるようになることだけではなく、身体が安心したまま動けるようになることでもあるから。
そこに触れた時初めて、 私たちの行動「Doing」は、自然な生命の動きとして立ち上がり始めるのだと思います。
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