成功か、回復か。私たちの選択は、ほんとうは2択ではない
ある時期まで、私ははっきりと「成功」を選んで生きていました。
結果を出すこと。
前に進むこと。
社会の中で機能すること。
そうやって動いていると、確かに現実は動きます。
仕事も広がっていく。
人との繋がりも増えていく。
外から見れば、それなりにうまくいっていたのだと思います。
けれど同時に、どこかにずっと緊張がありました。
少しでも止まったら、崩れてしまいそうな感覚。
うまくいっているはずなのに、なぜか安心できない。
満たされたくて進んでいるのに、どこまで行っても「まだ足りない」が残り続けている。
だから私は、それから「回復」の時間に入っていきました。
内側を見る。
癒す。
整える。
過去の傷やパターンに触れながら、少しずつ自分を楽にしていく。
それは、私にとってとても大切なプロセスでした。
実際、以前より反応は減っていったし、人との関係も穏やかになっていったと思います。
けれど、不思議なことに、ここでもどこか同じものが残っていました。
整ってきたはずなのに、また揺れる。
理解したと思ったのに、戻ってしまう。
そのたびに、「まだ癒しきれていない何か」があるような気がして、また次の答えを探しに行こうとしていました。
そのとき、ふと気づいたことがありました。
私はずっと、
「成功するか」「回復するか」
その二つのあいだを行き来していただけだったのかもしれない、と。
方向は違っていても、どちらも「自分を変える」という前提の上にあった。
より良くなるか。
壊れたものを修復するか。
違って見えて、根っこでは同じ場所から動いていたのです。
あるとき、何かを変えようとすることを、やめざるを得ない瞬間が訪れました。
うまくやろうとすることも、整えようとすることも、やめてみたとき、
私には何が残るだろうか。
そうして、そのときの自分のまま、静かに座っていることを選んだとき。
お腹の奥に、ゆっくりと、でもどっしりと落ちていくような感覚がありました。
胸の奥には、静かな余白が広がっていました。
このとき、周りの世界が大きく変わったわけではなく、何かが解決したわけでもありません。
でもそこから徐々に、自分と世界との関わりが、深くあたたかなものに変わり始めました。
そこから少しずつ、見えてきたことがあります。
私たちは、「成功」か「回復」かを選んでいるわけではないのかもしれない。
ほんとうは、もう最初から「すでに在った」のかもしれない、と。
どこから生きるかが変わっていく。
その位置が変わると、「成功」も「回復」も、少し違うものになっていきます。
成功は、必死に追いかけるものではなくなり、自分を証明するためではなく、自然な現れとして起きてきます。
回復もまた、「成功のために向かうもの」というより、生命の源に静かに戻っていくようなものになっていきました。
身体が安心を取り戻し、存在そのものを生き始めるように。
今も、私の目の前には、現実があります。
家族との関係の中で感情が揺れる日もあれば、 腹が立つことも悲しさを感じる日もあります。
そんなふうに揺れを感じる日もありますが、「どうにかしなければ」という緊張は、以前よりずっとずっと薄くなりました。
毎日が問題解決のために過ごすのではなく、生命を生命のまま、楽しむ在り方に変わりました。
揺れは、ただ通っていきます。
消そうとしなくても、否定しなくても、身体が安全なまま、やがて通り過ぎていくことがわかるから。
その奥に、自分と世界のどちらも否定しなくていい場所が、静かに残っています。
成功か、回復か。
その二つのあいだで揺れ続けた先に、そのどちらかに定義しなくても在れる場所が、静かに開かれていくことがあります。
そこでは、何かになろうとしなくても、 すでに在るものの上に、人生が自然と続いていきます。
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