“決める”から“起きる”へ——決断の3つのフェーズ
かつて私は、「決断」をするのにとても勇気が必要なときがありました。
やりたいことがないわけではなく、むしろ、頭の中には選択肢がいくつも浮かんでいる。
それでも、決めきれない、というか、決めるのが”怖い”。
こんなときは、誰か背中を押してくれる人が必要でした。
「やっていいよ」「それがいいんじゃない」と言われてはじめて、自分に許可を出すことができる。
あの頃は「誰かの許可」が必要で、同時にとても不安定でした。
けれど今振り返ると、 あの一言が作用していた場所も、少し見えてきます。
私たちが人生で幾度となく重ねる「決断」には、いくつかのフェーズがあります。
これは、能力や性格の違いで語られることも多いですが、実際は、意識の成熟で整理することができます。
それは、「”誰”がを行っているか」という視点。
この記事では、「誰」が決断しているのか、という視点から、決断の3つのフェーズについて整理してみたいと思います。
① 許可によって動く「決断」
この段階では、基準が自分自身ではなく、自分の外側にあります。
大切なのは、
これで合っているか。
間違っていないか。
そして、誰かに認められるか。
そうした感覚が、意識的にも無意識的にも、判断の軸になる。
だからこそ、 信頼できる誰かからの「許可」は強く作用します。
その誰かは親であったり、パートナーであったり、権威だったりします。
外側の言葉を一時的な安心の代わりとしますが、それによって動けるようになるのも、また事実。
私自身も、親の顔色を見て過ごしていた幼少期から、けっこうな大人になるまで、この感覚が長く続いていました。
他者の許可を得ながらも、自分の人生を動かそうとするのが、このフェーズの役割です。
② 自分で決めて動く「決断」
やがて、判断の軸が少しずつ内側に戻り始めます。
コーチングなどを通して、主導権を取り戻すトレーニングを積む人もいるかもしれません。
「私はこうする」 その言葉が、かすかでも立ち上がってきます。
誰かの意見を参考にすることはあっても、 最終的には自分で引き受けます。
その一方で、決断には、まだエネルギーが要ります。
迷いもあるし、不安も消えない。
それでも、時には「コンフォートゾーンを超える」ような勇気も使いながら、そのまま進むことができます。
ここではじめて、 自己信頼というものが育ち始めます。
多くの自己成長は、この地点を目指します。
③ 決断が起きるようになる「決断」
けれど、もう一段階、別の質感があります。
それは、自我が「決める」という感覚自体が薄れ、セルフの自然な立ち上がりとして現れる決断です。
たとえば
気づいたら、そうしている。
自然に、そちらに動いている。
といった感覚。
そこに強い意志や葛藤はなく、無理もありません。
かといって流されるわけではなく、それでいて結果への執着も薄く、肩の力は柔らかく抜けています。
このとき起きているのは、成功のため、結果のための選択ではなく、生命の向かう方向への、自然な動きの立ち上がり。
ここへ来ると、 「決断しなければならない」という前提が、少しずつ外れていきます。
決断は、努力して起こすものではなく、 条件が整ったときに静かに起きてくるもの。
その条件とは、自分を守るための強い緊張が、少しずつほどけていくこと。
そしてその奥から、生命の自然な動きが立ち上がってくることなのかもしれません。
ここまでをあらためて見てみると、
許可によって動く
自分で決めて動く
決断が自然に起きる
この3つの違いが起こる背景には、その決断をする”私”が「どこに立っているか」。
その立つ場所の違いを意味します。
かつて私が「許可によって動く」場所にいた時、そこにあったのは、誰かを上に置き、自分を下に置く、自分の中に置く「上下の構造」でした。
許可する側と、許可される側。
その中にいる時、誰かの許可に安心する代わりに、自分一人で完結する安心はいつまでも感じることができません。
その構造が必要なフェーズもあります。
けれど、そこに長く留まることも、また苦しいもの。
もし今、「決断できない」ことに違和感があるとしたら、それは後退ではなく、変化の途中かもしれません。
外側にあった基準が、内側に戻り始めている。
あるいは、「決める」というやり方そのものが、 少しずつ合わなくなってきている時かも、しれません。
自分で決めて進むことが必要な時期も、もちろんあります。
ただ、 決めようとする力を少し緩めたとき、 別のかたちで動きが起きることがある。
その感覚に、気づけるかどうか。
人生は、意志で変えるものでもあり、同時に、起きていくものでもあります。
その両方が、どこかで静かにつながっていくとき。
あなたの中に新しい選択肢が立ち上がるかもしれません。
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